第一章 プロローグ
 最先端技術が盛り込まれた新型車が産声を上げ、発売されてくる背景を考察すれば、デザインひとつ取り上げても、その車が誕生し、長年育まれてきた気候風土や文化が色濃く反映されていることに気付くに違いない。ドアを開け運転席に座れば、シートの座り心地や材質からも生産国のお国柄や人種の考え方が透けて見えてくる。イグニッションスイッチを「ON」ひとたびエンジンを目覚めさせれば、周囲の静寂を突き破り、生命の息吹きが鼓動となって五感を刺激する。期待を込めて1STギヤにシフトし車を発進させる。チーターが獲物に襲い掛かる様に似て疾走を開始。時間が許せば我が意思に忠実な伴侶となって、どこまでもつきあってくれる。退屈な日常を忘却の彼方に押しやり、自由気ままで芳醇な時間を提供してくれる。この世の中に、こんなにも魅惑の[アイテム]が、すぐ身近に存在していたわけだから、好奇心旺盛な私は15歳で次第に自動車の魅力に魅き付けられていった。こんな魅惑のアイテム=自動車も、ひとたびエンジンやミションが故障して動かなくなれば一瞬にして、単なる粗大ごみへと変化してしまう。更にエンジンを分解してしまえば、個々の部品からは生き物としての活力は消え失せ、傷や磨耗や汚れが急にクローズアップされてくる。しばらく放置しておけば錆が発生し、吐息さえ消えうせてしまう。この感覚は文章で述べても伝わりにくいが、1度でも愛車の分解修理を経験した人なら容易に理解できることだろう。
日常生活の便利な生活道具と考え、運動靴感覚で車を使っている人とは異次元な世界がそこに展開する。意識する・しないに関係なく、その人の愛車選択は、その人の人生哲学を色濃く反映し、生き様を投影していると私は分析している。快適で魅惑的な自動車満喫生活を望んでいる多くのマニアにとって、私が長年追求して得られた重要ポイントが少しでも役立つことになれば嬉しくもあり光栄でもある。この解説はひとつの特定された車種やメーカーを深く解説するものではなく、広く「自動車」全般を述べるコラムである。従って固有の数値・データは誤解を招く恐れがあるので、できるだけ割愛している。最初に断っておかねばならないのは43年間(実際にはすでに44年間だが)という長期間の研究成果を解説するので、最後まで読んでそのディテールとポイントを把握して欲しいと思う。一部分だけを抜粋して語られても私の言わんとする真意が誤解されて受け取られる恐れがあるから、この解説の一部転用や転記はしないで欲しい。長年の研究成果であると共に中途半端な解説は嫌いな性格なので短時間ではとても読みきれなくとも、暇な時や迷った時の参考書として使ってもらいたい。そして、本当の意味での自動車メンティナンスとオイル・添加剤・サプリメントを理解する人が1人でも多くなれば私にとって最高に嬉しい限りである。
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1−1:メンテナンスで左右される車の耐久性
 人間にも寿命があるのと同様に自動車にも寿命がある。「そんなの当たり前だ」と言う前に、どうして寿命があるのかを深く掘り下げて研究してゆかねばならない。化学の進歩に合わせ、人間の寿命が尽きる原因は次第に解明されつつある。病気の発症は生体防御機能低下(免疫力低下)で年齢を重ねるほど右下がりで落ちてゆく曲線を描く。また老化(さび)=酸化は年齢とともに反対に右上がりで上昇してゆく放物線を描く。この二つの曲線が交差する点が重大な病気発症や寿命の尽きる終着点となる。そこで効果的な手段を用いて交差する終着点を後方に引き伸ばすことにより、寿命延長が図れる。酸化は皮膚に皺(しわ)や斑点(シミ)となって表れる。歴史を紐解くと時の権力者は永遠の命を授かろうと、あらゆる物に興味を抱き実際に試している。しかし、この世の中には効果的な成分もあれば効果の低い成分も満ち溢れている。したがって健康食品と同じようにオイル添加剤の性能差も様々であり、長年の使用によって大きな落差が出てくることになる。人間の死亡原因としては癌(車に当てはめて考えるとメタル焼き付き、ピストン焼き付きに相当)、血管や血液の劣化や心臓病(車に例えればオイル汚れによるライン詰まりやオイル漏れ、オイルポンプ故障に相当)腎臓、肝臓疾患(車で言えばスラッジや汚れの蓄積とオイルエレメント飽和状態)肺疾患(車に例えれば吸気関係故障、エアークリーナーの過度な汚れ)と大雑把に当てはめることができる。自動車は保障期限が切れる頃から大きなトラブルが目立ち始めるので「機械は使えば劣化して故障する」というのが一般的常識となって認識されている。
斉藤自動車工場・整備工時代
左側車両は前期型セドリック
右側車両は後期型セドリック
年々進歩した技術が盛り込まれている自動車なのに、耐用年数に関しては大きく伸びていないことに気づいて欲しい。昔から「20年間耐久性のある車は製造可能であるが販売価格は2倍以上になってしまい、価格競争に負けてしまう」と言われている。つまり消費者が少しでも安い価格の自動車を望んでおり、商売を考えればお客様のニーズに沿った商品開発がなされることは至極当然の成り行きなのである。またこの問題を更に突き詰めてゆけば、自動車買い替え需要は世界経済(景気)をも支えている目玉商品という事実が浮かび上がってくる。あまりにも長い耐用年数では購買は生まれないし景気は低迷してしまう。経済と環境問題とは切ってもきれない複雑で微妙な間柄であり、排気ガス低減車や省燃費車に買い替え促進を図る政策(例えば10年経過すると重量税が10%アップや排気ガス低減車の優遇税制など)が実施されている。また景気が低迷し昇給が望めず・賞与の減額・サービス残業こそ多くなるが収入には反映されないなどという状態では自動車買い替え期間は更に延長される。故にトラブルの発生(対象の期間が長くなったことによる)が(起因する修理or買い換えの悩める選択を迫られるケースに繋がる。
(本当は走行距離や使用期間に対し、どのような対策(メンテナンス)を施してきたのかが最大ポイントなのだが・・・・)
憧れの車を手に入れるのは生きがいであり、その人の人生そのものでもある場合、愛犬や愛猫とまったく同じで少しでも長生きしてほしいと願うのは至極当然の感情推移と思う。そこで少しでも効果的なメンテナンスを施そうと最初は手探りで添加剤や高性能と謳われるエンジンオイルを次々と試してみたり、新たなチュー二ンググッズの情報を手に入れれば、さっそく愛車に装着し一人で悦にひたってみたりする。この技術的進歩の度合いは人様々で、エンジンを分解してポート研磨やらカムシャフト交換などメカニズムのおもしろさに引き付けられ楽しむ人や、故障や劣化した部品交換を実施して自己満足したり、外観を自分独自のエアロパーツで飾って喜んでみたり、マイガレージで高価なワックスを塗りこんで休日の大半を過ごしたりと、その楽しみ方は人それぞれ異なっており無限に広がっている。それはそれで、その人の生き様であり、他の人に意見を言うのはお門違いである。価値観は人それぞれである。他人に迷惑を掛けない範疇で行えるのであれば、それでよいと私は思う。
メンテナンスも、その人の考え方や経済力、技術的レベル、車の使用状況などにより大きく異なってくるので一様に断言できないが、性能に見合った液体(オイル、フルード、冷却水等)の定期的な点検・補充・交換が重要なポイントとなってくるのは間違いない。そして使用する製品毎の性能やクォリティの差はタイヤやマフラーと違い、実際に使ってみないと性能は解らない。マフラーであれば材質とか形状、溶接の良否などを目視で確認できるから、少し鑑識眼を磨いておけば納得して購入できる。しかし、エンジンオイルを選択する際には鑑識眼など何の役にも立たない。
いざ、オイル購入となると、その人の経験、技術力、知識、人生観、性格、経済力で、「絶対に6000円が上限」と決める場合もあれば、人によっては「1万円以内」と決めている人もいる。だから6000円を上限としてオイルを色々と試している人の意見は、6000円までのオイル中でのベストの選択かも知れないが、1万円以内までのオイル選択ではベストとはいえない。だが、人に話をする時には「上限ライン6000円まで」の「限定」は割愛され、あたかもそれ以上の価格帯を含めた全種類のオイルを試した上での最終結果のように話されていることが多い。
また「□□オイルは良いオイルだ」「○○オイルは悪いオイルだ」と簡単に言い切ってしまう人がほとんどであるが、オイルの性能は初期性能、持続性能、体感性能、保護性能、燃費性能、費用対効果度など多岐に亘り、トータルでの性能を総合的に判定して結果が出るので、実際には簡単には語ることは出来ない。これらの総合性能が高ければ高いほど自動車は長期間に渡り好調子を維持することが可能となってくるから、いかに潜在性能が高い製品であるかを探し出すことが重要課題である。この正しい選択を実行した瞬間から、「最善のメンテナンス」はスタートし、結果は約束されたようなものとなる。
話としては単純であるが、実際はこれらのテストを行う事は非常に大変であり、長期に及ぶテストと、馬鹿にならない費用を必要とする。一般市場で販売されているエンジンオイル銘柄は100種類を軽く超え、次々と新製品が発売される。もしこれを一台の車でテストしたならば、単純計算で[100銘柄÷0.5年(6ヶ月)交換=50年]もの時間が必要になる。また、その前に車の消耗によりイコールコンディションの維持が出来ない。走行距離も馬鹿にならないし、車としてのライフも怪しい。だが、個人としてテストを行うのであれば、10台で行っても最低5年は要する訳である。
しかしこの5年間という期間内でも、オイルは時代の進歩に合わせ規格変更が頻繁に実施される。また新しい銘柄の追加や新しいグレードが次々と世に出てくる激戦区であるので、テスト数より新しくラインナップする製品数が勝ってしまい、これからテストしようとする製品数は減少するどころか反対に増大してしまうことだろう。またテスト中にこれら10台のテスト車両がノーマルを維持したままとは言い難い。つまり実際のテストで「最高のオイル」にたどり着くことは不可能に近い。
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1−2:運転で大きく左右される車の寿命
 車の寿命を決定するメンティナンス以外の要因として、その人の運転状況・使用状況も大きく影響する。

A:運転のクセ
アクセルの踏み込み具合や走行スピードなど、密室で行われる運転技術は[無くて七癖]の言葉通り、仔細に観察を進めると実に様々であることが解ってくる。ゆっくりアクセルを踏みこむ人がいるかと思えば、反対にタイヤが悲鳴を挙げるほど急激にアクセルを踏み込む人もいる。ハンドルを絶えず小刻みに左右に切っている人、信号で停止するたびに必ずATシフトレバーをNにする人。まったくメーカーの予測範囲を超えた操作をする人の数は決して少なくない。

B:使用エリア
絶対交通量が少ない地域、極端に信号が少なく道が空いている北海道と、東京都心や大都会周辺の渋滞や信号が多い場所ではゴーストップの繰り返しが比べ物にならないほど頻繁なので車へのストレスは短期間で蓄積されてゆく。また住居が箱根などの山の上にあり、通勤で山道を降りたり登ったりしていれば、平坦路に比べブレーキやタイヤ磨耗は増大し、内部的損傷具合も進行してゆくのは当然のことである。また長距離通勤で高速道路を長距離使用するパターンでは走行距離こそ短期間で増加するが自動車への負担は少ない。また、寒冷地では長い暖機が必要になるケースもある。

C:オーナーの職業
会社員で通勤は電車でする人と自動車で通勤する人では年間走行距離は大きく変わってくるし、自営業で仕事にも使用する人であれば、当然走行距離は一気に伸びる。荷物積載量の違いも大きく寿命に響いてくる。

D:家族構成と総自動車所有台数
今や一家に1台ではなく、複数台所有する人も増えてきている。奥様の買い物専用車でも軽四輪から高級車まで幅広い。また旦那様が休日に家族を乗せてドライブするワンボックス車と、趣味としてのスポーツ車を使い分けするパターンも一般化しつつある。またメンテナンスを優先させる車と後回しに追いやられる車とでもコンディションには大きな違いが出る。

E:自動車の使用目的
この項目が一番寿命を決定するのかもしれない。つまり、通勤やお買い物、ドライブ主体の一般的使い方。少し走りを楽しむ目的で購入した場合、ジムカーナー、ラリー、たまのサーキット走行やスポーツ走行を味わうための車。主にモータースポーツを楽しむ目的で購入し改造を施した車。このように購入動機も用途も多種多様となってくる。当然ながらサーキット走行が頻繁になればなるほどダメージは増大してくるので重大トラブル発生率は高まり寿命は短かくなる。

E:オーナーのメカニズム理解度
メカニズムに精通していない人は、エンジンが悲鳴をあげていても一向に構わない。解らないから無頓着であり恐ろしさも何も無い。「エッ、オイルは交換するものなの?」はまだまだ許せる範囲。「車検を受ければ車は壊れない」と信じている人。中には「エッ、オイルが入っているんだ?」「運転するだけだから関心が無い。」と言いたい放題である。少し前までは交差点でスピードを落とすとギヤを変速しないまま加速して「ガラガラガラ」と平気でノッキング音を撒き散らしながら加速してゆく年配者を多く見かけたが、オートマチック車全盛となった最近では見かけるケースが激減した。このレベルであるから、車が異常を訴える初期症状など無関心で見逃してしまい、中期を通過し、末期症状に到達。そこで始めて「おかしんだけど」と平気で持ち込んでくる。だからオイルなど安ければ安い方が良い。軽四輪など下駄がわりで使い捨て感覚だから4〜5万kmも使えばガタガタ、そこでセールマンの勧誘で「奥様、高い修理代を払うより新色のこんな素敵なお車はいかがですか?買い換えた方が安心ですよ!」という言葉を鵜呑みにして買い換えることになる。そこには「車こそ我が人生」という車愛好家とはかけ離れた世界が存在している。勿論、軽四輪が豪華で高価になったとは言え、100〜200万円の総費用に対して、車好きが求める自動車は世界中でも生産台数が少ない希少車や、高級車など憧れの車なのだから数百万円は可愛いほうで数千万円も決して珍しくはない。たかが車、されど車なのである。このことは1−1項目のメンテナンスとも密接に関連してくる。自分が惚れ込んで夢が実現し購入した車と、いかに濃密な関わりを持つかという一点に集約される。

F:番外編:新車購入と中古車購入による程度差。
この項目は直接には運転方法と関係は無いが、車の寿命に関わってくる問題として見逃せない。例えば5万km走行した自動車を購入した場合、従来の常識では平均耐用走行距離の半分を使いきっていると考えなくてはならない。これをどこまで延命できるかは運転方法よりもそれまで使用してきた人のメンテナンス方法によって大きく異なっている。劣化した部分を大金を掛けてOHに踏み切るか、もっと効果的な方法で(有効な添加剤の活用、アースチューニング、コンデンサーチューニング、SEV等の装着)甦るのであれば一度試して結果を見てから判断しようと考えるかは人それぞれ異なってくる。

ここまで説明してきたように自動車の使用状況、メンテナンス度合い、運転方法などは千差万別であり、ひとつとして全く同じ状況というのは有り得ない。その中で「効いた」「効かない」という簡単で単純な評価で結果を語ることは何の意味も持っていない。であるから、もっと深く掘り下げて追求してゆくことが必要不可欠となる。
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1−3:ノーマルがベストとは必ずしも限らない
 誰でも初心者のうちに思うこと・・・・「新車が一番!」私だって、そこから始まり現在に到達するまで歳月を費やしてきたのだから・・・。20歳を過ぎて兄貴と共同購入で憧れのサニー1000 4ドアセダンの新車を購入した際は、天にも昇る夢心地であった。それまではマイカーは夢のまた夢の時代であり、大金持ちしか味わえない別世界であり、自分でマイカーが購入できるなどとは思ってもみなかった。日本のファミリーカー時代の幕開けは初の大衆乗用車であるサニー・カローラの登場と共に始まって、大衆車時代が花開き目覚しい発展を遂げてきた。
サニー1000 4ドアセダン
私もそうであったが始めて新車を購入した人の大半は、最初は腫れ物に触るように大事に運転したり、優しく丁寧に洗車を繰り返したり、休日を待ち焦がれてワックスで磨きこんだ覚えが一度ならずともあることだろう。それから次第に所有年数が長くなるにしたがって、車に対する愛着が薄れ、また運転技術も向上するので自然と車の潜在性能を引き出した走りへと多かれ少なかれ変化していく。少しペースを上げた走行を経験すると、それまで気が付かなかった愛車の弱点が浮き彫りとなり、次第に「何とか改善できないものか?」と考えるようになる。中には欠点が許せず、車を短期間で買い替える人もいる。許せる範囲の欠点と絶対に許せない欠点とがあるのだ。この辺の感情は少し恋愛感情と似ているかもしれない。結婚するまでは、あばたもえくぼで魅惑的に見え惚れ込み、一緒に生活をスタートしたが、日常生活が始まると他人から見れば些細な事でも、本人はどうしても許せない部分が埋められず、結果として離婚に至るケースも出てくる。また、自分の容姿に劣等感を抱き対外的に奥手だった人が、整形手術を行った途端に積極的な考え方に変わることもある。車に例えると、それがチューニング・アップなのである。
新車がベストでもなければ、ノーマルがベストとは決して限らない。純正は生産コストの制約の中で万人に合うように平均点でセッティングされた車なのである。後は欠点を見出して改善するか?我慢してしまうか?である。
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第二章 潤滑性能と耐久性相関関係を考察する