第八章 アナログかデジタルか?
 今やデジタル全盛期。アナログ制御であった物がアッというまにデジタルに置き換わった。結論を先に書いてしまえばデジタル制御は優秀である。でも万能かと問えば決してそうではない。音楽(音声)にしてもノイズのないクリアなサウンドを聞くことは可能であるが、アナログレコードや真空管アンプがベストセッティングされた最適環境と比較すると、今だマニアを納得させる領域には至らない。しかし一般平均で考えればデジタルの利点の多さに太刀打ち出来ないのも事実である。
今や自動車も複雑な制御が盛り込まれ、コンピューター制御無くしては語れない。これからも更に複雑な制御が盛り込まれてゆくことは間違いない。だがオーディオの場合と同じで、デジタル化すべきところと、デジタル化できない部分があるということを忘れてはならない。例えば、ターボエンジンの制御は各種センサーからの情報を一括集中高速管理し、瞬時に結果を制御機器に反映させなければならないのでデジタルが適している。しかし、マニュアルトランスミッションの入りに関しては、[気持ちよく入る・入るけどしっくりこない・しっくりくるけど頼りない・引っかかる感じがする・・・・]といった具合に、デジタル的に[入る・入らない]だけではユーザーを納得させられない部分がある。どちらを否定するのではなく両者の長所短所を見極め融合させることで至高の領域に一歩踏み出せる。
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8−1:料理の味と同じで最終的には「味」が決めて

 料理番組を見ていると、レポーターが出された料理を試食して一生懸命に味を表現して視聴者に伝えようと努めている。だが、どんな言葉を用いても料理の味を第三者に伝達することは不可能である。視聴者はそれぞれに(勝手に)自分の経験の中から必死に味を連想する。これと、まったく同じことがオイルの性能を表現する場合にも当てはまる。もちろん料理とオイルでは大きく異なる部分もたくさんある。料理は鼻で「香り」を評価し、舌で味覚を評価、、噛み砕く際に触感を感じ取り、たった数秒間で「味」を評価することになる。エンジンオイルはもっと複雑怪奇で、入れた直後の状態から数千km、時には数万kmも持続性の変化を見ることになる。また直接的に評価する訳ではなく、自動車の運転を通して間接的に評価することになる。このように比べることが適切でない部分もたくさんあるのだが、結果的に「良い=うまい」「悪い=まずい」と表現(評価)する部分では似ていると感じてしまうのだ。デジタル時代で料理の味を分析すれば、うまみ成分が多く含まれているとか分析できることはできるがそれだけで判断できるほど簡単な分野ではない。実際の料理の名人、達人達は試行錯誤して「味」を良くする研究を重ねている。料理もオイルも素材(オイルの場合はベースオイル)が重要な役割を担うことは言うまでもない。でももっと深く理解できる人なら「開発の試行錯誤」がもっと大きな意味を持つことが解かるはずだ。飛びぬけた評価を探求するには次の条件を満たさなければ生まれてこないと思う。
A:好奇心 B:オイルに対する経験 C:自動車に対する経験 D:自由な発想 E:情熱 妥協しない頑固さ
 他の項目で書いたように私自身、オイルの開発は、長期間の歳月を掛けて製品を開発している。経年劣化や気候変化など長期に渡って実車テストを重ねたためである。もちろん各種実験装置を用いた開発では「短時間である程度の性能の製品」は開発できる。でも販売して実際の評価はどうなるのだろうか?実際の開発現場では料理人と同じように試行錯誤を繰り返し、改善改良を積み重ねてゆく開発期間が結果として信頼のおける高性能に繋がってゆく。オイルの専門家が試行錯誤しながら開発した製品を、アマチュアが一部分の成分だけ取り上げて(しかも机上の知識のみで)良いとか悪いとか無責任に論じても何も的を得ていないことを理解して欲しい。大手塗料メーカーが小さな板にペイントした物を長年にわたり野ざらしにして劣化具合を確認している。これはコンピューター解析が進歩した現代においても、実際の条件で試してみないと解からない部分があることを如実に表している。
また別な例として、オイル評価は初期性能だけでなく、ローエンド性能(交換直前の性能)までを合わせて考えなければならない。基本的に入れた直後はどんなオイルもそれほど悪い評価は出てこない。(もちろん例外もあるが)潤滑という一つの仕事をするからには何かの成分が一生懸命に働かなければ(作用)ならない。この世の中で働くこと(仕事をすること)により必ず何かが消耗する。原子力に代表されるように効率よく作用するか、石炭のように効率悪く作用するかの違いである。また特性として即効性を強く持つ性質を持っていれば、消耗が早いという特性を併せ持つことは避けられない。もちろん一番理想的な作用は、即効性もあり、持続性もある製品となる。だがそのような理想的製品は、得てしてコスト高になってしまう。優秀な性能を誇る成分を、妥協せずに使用すれば当然の結果、価格に反映される。
 各種条件が互いに連鎖し、その結果がユーザーの評価となって表れる。同じ会社の製品でも粘度とベースオイルが変われば、当然ながら結果は変わってくる。理論的に理詰めで熟慮する人より、あまり細かいことを気にしないで各社のオイルを順番に比較するような人なら、オイルの「味」を理解することが出来るだろう。もちろん、価格だけで妥協してしまえば、妥協した部分の「味」を語ることしか出来ない。
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8−2:数値が意味する領域と、意味しない領域

 デジタル化とは全ての情報をDATAに置き換えて処理をすることを意味している。自動車で一般的に使用される数値は馬力、トルク、燃費、加速、油温、水温、回転数などが挙げられる。ECU的にはインジェクター開弁時間、点火タイミング、過給圧、ISCバルブ開度、排気ガス濃度などが挙げられる。コンピュターチューンでは10進法で表されたDATAをロムライター書き換えることにより、簡単に点火タイミングを変更したり燃料セッティングを変更することが出来る。このように一見難しく思えるコンピュターチューンでもDATAの持つ意味や変更方法さえ勉強してしまえば誰でも変更(ロムチューニング)することが可能となってくる。もちろん良いDATAを作るには、長期間の経験や良い指導者(先生)を必要とすることは言うまでもない。確かに数値化できれば、誰でも数字を比較して判断できるのでこんなに便利なことはない。対して、オイルや添加剤、その他のチューニングアイテムの広告で目にする機会が圧倒的に多いのが、最高出力(馬力)の比較表となってくる。実はここに大きな落とし穴がある。一般市街地走行、高速道路において、最高出力の恩恵を受ける状況は実際にはほとんどなく、あったとしても数秒の継続に過ぎない。しかし、最近でもこの風潮に変わりはなく、6月に行われたインポートカーショーに仕事で行った際にも、沢山の人だかりの向こうには黄色いフェラーリがあり、馬力測定を実施していた。多くの人が群がっていたことで解かるように、最高馬力の数値は車関係の数値の中でも最も関心が高い数字である。ちなみにその時の結果はオーナーの予想を大幅に上回った数値だったので大きなどよめきと拍手さえ生まれた。良い悪いは別にして最高馬力は気になるものらしい。そこでメーカーも最高馬力アップを広告の目玉とする悪循環が今も続いている。
オイルの比較は、自動車好きで、しかもオイル性能に関心がある人なら一度は経験がある筈。中には次々とオイルを変えながら自分なりの評価を下す人もいる。だがこの評価の問題点は、前記(第1章1−1にて)したとおり、全てのオイルの結果ではなく、自分の「ターゲットコスト以下の範囲内で」という制約が必ずと言って良いほどあるということである。しかも、その制約について語られることが少ないのも事実である。
では実際にオイルの良し悪しを評価する基準とは一体何であろうか?車両テストでの数値的に出てくる部分を列記すると下記のようになる。
A:最高馬力
B:最大トルク
C:油温
D:油圧
E:区間タイム(0−400m 0−200m etc.)
F:一定速度までの加速タイム
G:メカニカルノイズ(騒音)
H:アイドリング回転数(アイドリング安定度)
I:燃費
J:圧縮圧力
K:排気ガス濃度

しかしながら、マニュアルミッションの「ギヤ入り具合」となってくると数値で表わすことが難しくなる。
A:夏と冬、気温によって入り具合は変化する。
B:地域(沖縄から北海道)によって気候の変化で敏感に変わる。
C:エンジン始動直後、1時間走行後など走行時間(油温上昇具合)で変化する。
D:走行条件(ゆっくりかハイペースか)で変化する。
E:運転テクニックで大きく変化する(特にシフトダウン)
F:オイル銘柄と粘度、外部添加剤で変化する。
G:シフトレバーやクラッチ銘柄交換や改造の影響を受けて変化する。
H:元々の組み立て時の完成度のバラツキが影響し入り具合が変化する。
I:設計の完成度が高い場合と低い場合で変化する。
J:エンジンの調子やエンジンマウントのへたりなどでも変化する。
これらの条件は単独で当てはまるのではなく、複数の項目が重なってギヤ入りを変化させている場合が一般的である。また、あくまで感触で感じる部分なので「どこまでの重さが不具合で、どこからが良好(正常)なのか」歴然としたラインは存在しない。つまり、いくらデジタルで表すことが出来ても無意味な部分である。だが、人間の感覚(アナログ)としてなら下記のように分類分けが出来、しかも誰もが納得できる。
評価5:無意識の内にシフト&ダウンが条件を問わず即座に行える。
評価4:あまり意識しないでも、あらゆる条件で気持ちよい操作が可能である。
評価3:入ることは入るが意識してシフトチェンジのタイミングを考える。
評価2:操作に神経を注いで、ゆっくりシフトしても操作感に違和感を感じる。
評価1:入らない時がしばしばあり、入っても異音が発生したりする。
感覚的な部分なので表現方法は人によって異なるかも知れないが、ニュアンスは伝わる筈である。つまりシフト操作とは「その車の所有者がどう感じるかに」が全てである。

だが、この所有者の感じ方においても稀に所有者側の問題が原因で不具合を誘発しているケースもある。
私に是非見て欲しいと車を持ち込んでくる人が年に数台ほどあるのだが、その中で「ギヤ入りが悪い」と訴える人がこれまで2〜3台あった。まず自分で試乗してみる。何の問題もなく気持ちよくすんなり入る。次に持ち主に運転を代わり助手席から運転を観察する。
●驚愕の操作方法:その1
女性ドライバーで1速にギヤがはいりずらいと訴える。自分で運転してみると何の問題もなくスンナリ入る。次に女性の運転を観察すると50〜60km/hで走行中に、はるか彼方の信号が赤信号に変わるとアクセルをゆるめ、30〜40km/hに速度が落ちたところでギヤを1速に入れようと必死にレバーを操作している。
●驚愕の操作方法:その2
この人はミッション専用の柔らかいフルードを使用していて「入りが悪い」と訴えてきた。早速試乗を開始すると予想通り悪いどころか実にスムースにシフトアップ&ダウン。ミッション自体に何の問題点も見出せない。上記の女性ドライバーの時同様、助手席から運転を観察するといくつかの問題点が浮かび上がる。
1:ゆっくりゆっくり操作する。ニュートラルで少し時間を置いてからシフトする。
2:スタートして3メートルほど前進して左折するケースで交差点の真ん中でハンドルを左いっぱいに切っている状態で(時速5〜10キロ)2速に前回同様ゆっくりゆっくりシフトアップする。そこで問題点を指摘すると、私が以前に著書の中で「ギヤ入りを指先で感じながらシフトする」と書いていたので、それを実践していると言ってきた。技術的なものを言葉や文章で伝えることの難しさを感じさせられた。
●驚愕の操作方法:その3
年配の方で軽四輪車でのケース。車両を点検するとクラッチペダルに厚さ3cmほどの木片が縛り付けてあった。その異様さに思わずギョとしてしまったが、本人は何事も無くすまし顔で笑っていた。クラッチミートするポイントを変更したかったのだろうが、これでは・・・・

 上記三つの実例は異常な使用方法であるが、メーカーの予想を超えた使用方法はこの他にも沢山知っている。このように密室で行われる運転方法は「なくて七癖」で実に変化に富んでいると思って間違いはない。
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8−3:匠の技はデジタルでは解析できない

 前項で説明したとおり、車両に関係するDATAはデジタル化出来るものと出来ないものがある。このデジタルで表すことの出来ない部分を補うのが、経験・知識・洞察力・応用力などの能力である。数字の上では1+1=2であるが、新しい発想により3にも4にもなることが考えられるのである
例題として用いて正しいかどうか自信はないが、数百年前に製造された1枚の古伊万里焼きの中皿が数十万円、数百万円することがある。確かに数百年間も生き残ってきた骨董品的価値を評価されての価格でもあるが、それと同時に、当時の匠の技(素材、染付けの顔料、絵付けの筆さばき、その他)が現在においても再現することが困難であるという部分にも価値を高騰させる要因がある。しかし、古伊万里焼きに精通していない素人に、本物の古い皿と現代品の綺麗な皿を二つ並べて見せれば多くの人は新しい皿を選ぶと思われる。同じように見える絵付けも昔は職人が全て手仕事で筆書きしていたために一品一品が微妙に絵柄が異なっているのに比べ、現代品は全て同じ絵柄が綺麗にプリントされている。現代品がデジタル化と同じように寸分の狂いのないお皿に対し、古伊万里はアナログ的に一品一品が微妙に形、大きさ、絵柄、濃淡、焼き上がりが異なっていて、それが「味」として高値を呼んでいる。現代品は「味」に劣るから価値が低いのである。
また、ゼンマイを一度巻くと約1年間動き続ける江戸時代末期の和時計「万年自鳴鐘(じめいしょう、万年時計)」が、東芝(東京都港区)と国立科学博物館(同台東区)によって154年ぶりに複製された。

愛知万博に合わせ複製された万年自鳴鐘時計。
驚くべき先進の匠の技がここかしこに生かされている。

1年間動かす動力は驚くことにゼンマイである。私の年代は家にある柱時計を1週間に1度ギリギリと巻いていた時代である。一番長持ちしたゼンマイ時計で30日。それが1年間も動くことさえ凄いことなのである。しかも、一つの時計だけでなく欧州の懐中時計と、昼夜をそれぞれ6等分する当時の「不定時法」の時計が同時に進む。十干十二支のカレンダー、月の満ち欠けを表す月暦、上部には太陽の軌道を匠に表す仕組みも盛り込まれているのである。これらいくつもの機能を、複雑に組み合わせた歯車を通して一つの動力が動かす。一度ゼンマイを巻けば1年間動き続けるように設計されていた。復元するにあたっても苦労話を放送していたが日本にこんなにも凄い発明家がいたのかと改めて驚かされた。その人の名前は田中久重氏、別名は「からくり儀右衛門(ぎえもん)」と呼んだほうが解りやすいかもしれない。人形がお茶を運んで来て茶碗を取るとUターンして帰ってゆくと言えば解るかもしれない。その後、東芝の創業者となり数々の発明をする。この万年時計は1300個の部品から構成されているがギヤの1個1個はヤスリを使って手作業で製作されている。時代は1851年、今から150年も前のことだから機械加工する機械などなかった時代である。ゼンマイは腕の良い刀鍛冶に依頼して製作させた。何と長さが2メートルもあり厚みは2ミリと厚い特注品である。近代技術で復元しようとしたが愛知万博には間に合わなかった。それだけ難しい品物であるなんて多くの人は考えられないと思う。材質は真鍮が70%銅が30%の合金である。またゼンマイが戻るに従って力は弱くなる。つまり最初と最後では駆動力に大きな変化が生じてしまうゼンマイの欠点を改善するため円錐形の巻き取り歯車を組み合わせて(CVTと同じ発想をこの時代に実用化していた)解決している。ここでは構造作用が複雑で伝えきれないが、ゼンマイは一定方向しか回転させることは出来ないのに不思議な歯車(虫型歯車と名前を付けて呼んでいた)を考案してシャフトに往復運動を与えることが出来る。このように匠の技は現代の進んだテクノロジーを駆使しても簡単に真似することはできない。真似ができても、いざ実際に製作したなら、とんでもない高価なものとなってしまうだけの「技」が存在するのである。発売されれば自動車と同等の高価格となることが予想されるが好奇心旺盛な私は真っ先に購入を検討するだろう。

 「味」をひとことで表現したり数値化することは出来ない。しかしながら自動車やオイルを評価する場合は、この味の部分も大きなウェイトを占めていることを深く認識しなければ、自動車やオイルを語ることはできない。一見雲をつかむかのように捕らえどころのない「味」であるが簡単に言えば次のように表現できる。
「フェラーリは紛れも無くフェラーリ、ベンツはベンツ、BMWはBMWであり、ポルシェはポルシェである。セルシオはセルシオの味で大衆車は大衆車の味である。速いとか遅いとか関係しない。」もちろん、年式、車種、程度によって差があるが味にはあまり関係しない。
自動車の「味」を言葉で一部分のみ述べると・・・
自動車の全体的なフォルム(デザイン)から感じる感覚、ドアーノブを開きドアーが開く感触と開閉音。運転席に着座したシートの座り心地やハンドルを握った手の平から伝わってくる感触と握り具合。フロントガラス&ドアガラスから見渡せる視界、メーターの視認性やデザイン、各種スイッチ類の操作感、シフトレバーの感触やデザインや操作感。エンジン始動時の音、アイドリング時のノイズと振動と排気音、アクセルを踏んで加速する時のノイズと排気音、高回転を回している時のノイズと排気音、風切り音、ロードノイズ、ハンドルの操作感、ハンドルに伝わってくるインフォメーション、乗り心地(あらゆる路面の)では、これらの一部分だけの優劣をデジタルで表すとなると、誰でも難しいと解かってくることと思われる。同じように匠の技は長年の訓練や経験の積み重ねで習得する部分であり、知識や頭脳で決まる訳でもない。裏には理屈が隠されていたとしても理屈だけで解決できる問題でもない。一般品より優れた性能の製品を生み出すためには理論や研究だけで解決できない匠の技が大きな力を発揮し、性能を大きく左右することが出来る。現代において全てをコンピューター解析で開発しようといった風潮を見受けるが、最高級品の開発においては「匠」の技を無視しての開発は成り立たない。年々消えてゆく匠の技が見直される日がきっとくると藤沢は信じている。
 ここまで書き終え、なにげなく開いた2005年5月号ル・ボランの記事に目を奪われた。そして「クラウンに何が起こったのか」というタイトルに目を引かれた。記事の書き出しの太字は「とにかく感性に訴えるエンジンを作りたかった」となっていた。リポーターの萩原秀輝氏が新型クラウンに試乗して「何かが違う」と強く感じたことで、クラウンのV6エンジンの秘密を探ろうと企画した記事であった。このV6エンジン担当の杉山雅則主査の言葉が掲載されていた。内容的には「これまでは数値的な性能を最終目標として開発していたが、今までとは正反対に感性に訴えかけることを最優先して開発した」と書かれていたので、メーカーにも私と同じように考える人がいたと嬉しく感じた。突き詰めてゆけば同じ到達点に到達することは技術的分野では珍しいことではない。次の「感性とは?」というレポーターの質問に対して、杉山雅則主査の答えは「加速の立ち上がり感や音」といったアナログを大事にしたという返答がそこに載っていた。もちろん「スペックも世界一を目指しました」と話は続く。最後に評価し判断を下すのは機械でもなく購入したドライバーなのだから、こういった開発姿勢こそが優れた工業製品を生み出すことは間違いない事実であると信じている。
今までにない新しい解析方法を考え出して分析することによって匠の技の秘密を探ってみたり、一歩近づくことも可能となってきている。それでも全てが解明できる日は来ないと私は思っている。でも子供の頃に夢中で見ていた手塚治氏の鉄腕アトムが夢や漫画の世界から一歩飛び出し、ロボットが楽器を演奏したり掃除をしたりすることが出来るような時代になってきた。そこで私も車にノートパソコンとデータロガーを積んで新しい分析方法でDATAを集積しようと考えている。しかし、匠の技を解析しようとすればするほど、評価試験の難しさが浮き彫りとなってくることとなり、とんでもない莫大な資金と長期間の評価期間が要求される。なぜ麻薬探査犬が機械を使用したハイテクではなく、生身の動物なのかということが理解出来れば、私の評価試験法が実車主体開発と言う深い意味合いを解ってもらえると思う。到達する性能目標値は同一でもアプローチの方法はひとつではなく複数考えられる。
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第九章 高性能サプリメントが生み出す世界